函館に帰省してきたので、思い出を振り返ろうと思います。
1月21日
お昼頃に函館に到着。
観光のルート的に、着いてすぐに実家に向かいました。
当初の予定としては
実家→ラッピでご飯→観光→ホテル
と決めていたのですが、実家で母親と話してから予定が一気に崩れました。
引っ越してからしばらく母親と連絡を取ってなかったのですが、着いて早々「話がある」とLINEが来たので嫌な予感がしました。
そして実家に着き、
母親から「大腸癌かもしれない」という話を聞きました。(後日、違ったと判明しました。)
レントゲンで腫瘍が見つかり、総合病院での検査がちょうど明日だという話でした。
「おれの人生もここまでかって感じだよ」と言われ、泣きそうになりましたが「早くね?」とか言ったりして笑いに変えて、いつも通りを装いました。
※うちの母親の一人称はなぜか昔から「おれ」です。
事あるごとにいつも言わない「ごめんね」を連発する母親を見て、「マジで最期なのかな」と胸が痛くなりました。
本当にいつも通りに接し、家を後にしました。
泣くのを堪える気持ちと現実を受け入れられない気持ちでいっぱいで、「え、今の夢だった?こんなことある?何が起きてんの?」と思考停止状態でした。
そのままいつも行っていたフェリーターミナルへ行き、今後の人生について自分と向き合いました。
函館に帰ろうか、でも帰らない。
今僕が函館に帰って母親に優しくしまくったら、本人も死を意識して弱気になり寿命が早まるかもしれない。
だから僕はいつも通りを装うために、帰るという選択肢は捨てる。
でも本当にそれでいいのか。後悔するだろうか。
といったことをグルグル考えていました。
というのも、祖母が亡くなる直前に、母親が今の僕と同じ事を口にしていたからです。
だから僕は自分を強く保とうと決意していました。
ということで食欲なんて消え失せ、ラッピも行けませんでした。
でもさすがに今日をこのまま終えるわけには行かないし、ホテルに戻ってなにもしないでいると鬱になるだけだと思い、アンジェリックヴォヤージュへ向かいました。

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無事クレープを食べ終え、ホテルへ向かいました。
ホテルに着いてから、考えないようにしていた母親のことが再度頭を巡り、大号泣してしまいました。
僕は事情があって母親に冷たくしていたので、こんな子どもで母親は不幸じゃなかっただろうかとかいろいろ考えてしまいました。
やっぱりこのままじゃ鬱になると思い、泣き腫らした顔で函館山へ向かいました。
僕の故郷は素敵な町で、ここで生まれ育って良かったと初めて思いました。
長くなるので今日はここまで。
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