僕の母親の話

日記

結婚前の家族構成と注意書き

始めに、
僕は母子家庭ですが母親とあまり仲が良くありません。

結婚する前は母親、祖父母、僕の4人暮らしで、僕の学生時代までは猫が2匹いました。猫はそれぞれ寿命で亡くなりました。
祖父母とは仲が良かったのですが、数年前にどちらも他界しました。
祖父は僕が幼い頃に脳梗塞を煩い、言語障害により、物心ついた時からしっかりとした会話のキャッチボールができないまま他界してしまいました。

今回の記事は、母親が好き、または母親を尊敬している方にとっては気分を害する恐れがありますので、そのような方はUターン推奨です。

 

相方との出会い、そしてラスボス母親

僕が相方と出会ったのはmixiという古のアプリ(超失礼)です。
当時、mixiをやっている人は少ないながらにもいて、趣味の合う人と暇つぶしにメールをしていました。

相方とはガンダムの話で意気投合し、しばらくメールをしていたのですが、そのうち会ってみようという流れに。

余談ですが、相方とまだ敬語でメールをしていた際、ふたりでできるゲームがしたいと言っていたのにも関わらず、持ち前の読解力のなさで、ひとり専用ゲーム「サイコブレイク」を割り勘で購入し、相方に見せつけるというクソさを発揮して「こいつ大丈夫か」と思われていたそうです(笑)
相方的にはふたりでと約束していたので、「サイコブレイク」はふたりでできるゲームなのかと思ってひたすら待っていたそうです。

のちに交際がスタートし約2年。
やがて結婚へ…のはずが、ここでアクシデント。

相方を連れ、結婚の挨拶をするために僕の実家へ行ったそのとき、事件が起きました。
僕が先に母親に話してから呼ぶからちょっとだけ外で待ってて、と相方を外で待たせました。
僕が「結婚することになったんだけど…」と切り出した瞬間、なんと母親がブチ切れ&大反対したのです。

理由は「キノに協調性がないから離婚するに決まってる。家事分担とかできないでしょ?絶対すぐに離婚を切り出される」とのこと。

さすがの僕も大激怒。
「僕に幸せになってほしくないんだね!お前がそう育ててんだから育児失敗だろ!」と怒鳴りました。言い過ぎかと思いましたが僕はそれだけ怒っていたのです。

祖母は仲裁に入り、「大丈夫だよ、キノはやっていけるから」と宥めてくれましたが、母親はひとことだけ、「◯ね!」と怒鳴り、2階へ閉じこもりました。

僕はその時、「なんでこんな家に生まれてしまったんだ、もう終わりだよこの家…」とがっかりしました。
外で待つ相方の元へ行くと「すごかったね、外まで聞こえてたよ」と引いていました。
僕の実家は田舎の中のド田舎なので、一軒家でも大声を出すとシーンと静かな外に丸聞こえです。
僕は捻くれているのに加え、その時は怒っていたので「ざまあみろ、近所の評判なんか下がっちまえ」と内心思い、実家を後にしました。

 

続く交渉、のちゴールイン

後日、また交渉せねばと、今度は相方と母親の三人でご飯に行くことにしました。
この時も何故か母親に何度も断られましたが、説得の末なんとか連れ出すことに成功しました。

お酒が入ると大丈夫だろうと踏んだ僕は居酒屋での食事会を開催したのですが、母親のお酒耐性がバケモンクラスで、まったく酔ってくれませんでした。

どんなに話題を振っても「うん」とか「あぁ」しか言わない母親。空気は最悪です。
僕は気が利かずぼーっとした性格をしているので、すぐ隣にあったお皿を取り分けたりするのすら思いつかず、「なにやってんの?」と母親にいちいち怒られていました。
僕は大人なので外でキレ散らかすことはありません。
相方もさすがにこの状況にはだんまり。
無言でご飯を食べてお酒を飲んで解散しました。

そしてまた後日、「ああいうときはあんたが話振らないと。○○(相方)さんかわいそうでしょ?ほんとに気効かないんだから」と母親が言うので、
「話す気ないじゃン。あとお前に振るネタとかないから」と言い返し、さらに険悪になりました。

数日後、母親の心境になんの変化があったのか知りませんが
「1年延ばしたら結婚していいよ」と謎の条件を僕に言い渡してきました。
「でももう2年付き合ってんのにもう1年延ばすのなんで?」
と聞くと、
「その1年であんたが振られるかもしれないから」と言われ、まったく意味が分からなかったので追求してやろうとしたそのとき
「寂しいんでしょどうせ。悪いけど聞いてやって(小声)」と祖母に言われ、1年の時が経つのを待つことにしました。

結局僕たちは交際3年で結婚しました。

2年で問題なく結婚できると思っていた僕たちは、水面下で結婚式場を押さえて計画を進めていたのですが、担当さんに事情を説明して延期してもらいました。

 

母親に示された道が必ずしも正しいとは限らない

母親が結婚を延期しろと言ってから1年、入籍とほぼ同時に祖父を亡くしました。

すでに祖父は自宅で突然倒れ、植物状態のようになってしばらく入院していたのですが、このタイミングで帰らぬ人となりました。
祖父は自分のせいで結婚や結婚式がさらに延期になるのは嫌がる性格だろう、という家族全員の意見で僕たちは入籍し、次の月に結婚式を挙げました。

新婚旅行に行く予定を立てていた僕たちは、その翌々月に無事イタリアへ行きました。
(イタリアで漏らした話とか汚いし流石に記事にするのアウトかなぁ…要望があれば書きます(;^ω^))

お互い親には頼らず、全部自分たちのお金でやりくりしたので、数年前のあの頃は貯金に全力を尽くしていました(ほとんど相方もち)。

イタリアに行ってから約2年でコロナ禍になったので、結婚がもっと後になっていたら、僕は母親を恨んでいたことでしょう。

 

僕は昔から母親の言うことは絶対に聞かないで生きると決めていて、過去に何度も母親と衝突し、意見に逆らって生きてきましたが、おそらくこれが初めての親の言う通りにした出来事です。

(僕の場合は)やはり母親の意見は聞くもんじゃないなと勉強になりました。
僕の母親はだいぶネガティブです。
「どうせ無理」が口癖なので、あまり深入りしないようにしています。

僕の自己肯定感が高いのは、おそらく母親を反面教師にしているおかげだと思っています(笑)
僕ならこんな考え方はしない。できない理由ばかり探して、こうはなりたくないと誓っています。

僕が学生の時に母親に言った、「休みの日ってゴロゴロばっかしてテレビ見ることしかしてないじゃン。楽しいの?」という言葉がずっと母親の心の怪我になっているそうです。
そういう僕だって社会人になり、休みの日はもっぱらゲームして寝るだけの生活。

結局似た者親子ですが、僕はブログ書いてるもん!一歩踏み出してるもん!という謎の自己肯定でまた明日も生きていこうと思います。

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